德田商店の歴史ダイジェスト
寛政初期:段屋勘九郎が魚屋をはじめ、鳥取城へ魚を納品する。
文久後期:德田武七が勘九郎の後を継ぎ、鳥取城をはじめ武家屋敷などの魚のご用をあずかり、乾物業も始めた。
明治15年頃:德田力蔵が市内上魚町に於いて、総合食品卸売業「德田商店」を興し、大正、昭和の初めあたりにその基礎を築いた。明治時代になり食料品も西欧の影響を受けたこともあり、貯蔵のきくカンヅメ類などを新たに取り入れ、大正時代にはさらに経営を飛躍し、キリンビールの特約店、キッコーマン醤油なども手広く扱った。
当時店舗は上魚町にあったが昭和18年の鳥取大震災で倒壊した。6代目德田忠志は、昭和23年6月「合名会社德田商店」を若桜橋詰で興したが、昭和27年の鳥取大火に合い、昭和32年「株式会社德田商店」を設立し、これを機に鳥取駅前に進出した。鳥取都市計画により、昭和48年に鮮魚市場を市内安長の鳥取市公設市場に移転、昭和51年9月には本社も同所に移した。